「『万事屋銀ちゃん』・・・?」
自宅だという場所に案内され、言われるままに顔を上げた先にあった看板を、剣心は読み上げた。何の変哲も無い、かぶき町のとある一軒の二階建ての建物。通りに面した建物の2階に、その大きな看板は掛かっていた。
「まあ要するに何でも屋ってことだ」
「何でも屋っていうか、ほとんどなんにもやってない屋アル。プー太郎屋ネ」
「なんにもやってないのでござるか!?」
銀時の説明を補足するように言われた言葉に、目をむいた。ちなみに新八は、すでに自宅に帰ってしまってここにはいない。貴重なツッコミ要因がいないのはイタい。
「取りあえず上がれや」
そう言って、建物の側面に後から取り付けられたような階段に足を向ける。カン、カンと金属音を響かせ、神楽が一番最初に入り口の引き戸を開いた。ガラガラガラ、と小気味良い音がする。
「ただいまヨ〜〜、定春!」
ワン、ワン!
留守番していたのであろう相手の名を呼んだらしい神楽の声に応えるように、こちらも元気な犬の鳴き声が聞こえてきた。一番奥の左の部屋にいるらしく、玄関からではまだ姿が見えない。
「ほう、犬を飼っているでござるか」
少女と犬という微笑ましい構図に、心温まる気がした。
「おたく、動物は平気なクチ?」
「まあ」
銀時がブーツを脱いで上がった横で、剣心も草履を脱いで上がった。
「なら良いけどよ。戯れついて来られたら取りあえず逃げろよ?アレを何とかできんのは、神楽だけだからな」
廊下の奥にある引き戸をあけ、万事屋の居間に入る。神楽と件の定春という犬はさらに奥の部屋にいるらしい。
「厄介な性格の犬なのでござるか?」
やんわりとではあるが、戯れついてくる動物から逃げろと言う銀時を疑問に思い、剣心が首をかしげた。
「いや、性格自体はそんなんでもねーんだが、サイズがな・・・」
「?」
大型犬、という事だろうか。確かに犬でも、後ろ足だけで立てば人の身長と変わらないくらいにはなる。
まさか、自分の外見から言っているのでは・・・
確かに剣心は小柄で痩せてはいるが、『多少は』鍛えてもいる。それくらいでどうにかなるとは思えない。
「剣ちゃん!」
もやもやと考えているところに、神楽の明るい声が掛かる。剣心は顔を上げ、飛び込んで来た予想外の光景に固まった。
神楽はその華奢な両肩に、何やら白くて大きな物体を担いでいた。神楽はおろか、人ひとり、いや、大の大人が複数人は乗れるかという程大きな生き物。そう、生き物だった。
「紹介するネ!定春アル!」
「おろぉ!?」
どこにそんな力があるのだろう。彼女は担いでいた白い生き物
どうやらそれが定春というようだ
を勢いよく宙に投げ出した。それはもちろん重力に逆らわず床に落ちるわけで。
ドッシーーーン!!
見た目に違わず、大きな音を立てて着地する定春。かろうじてそれを避けた剣心だったが、開いた口が塞がらない。
「ぎ、銀時殿!これは一体・・・」
剣心の認識にある大型犬の予想を遥かに上回って、この定春という生き物は大きかった。サイズだけなら熊とも言えよう。それを軽々と持ち上げて見せた神楽の怪力にも驚いたが、常識を逸した定春にも驚きを隠せない。
「だから、定春」
銀時が大真面目な顔で言い切った。
「でかすぎるでござる!本当に犬でござるか!?」
「犬だよ?これは。純然たる」
そう言って銀時が定春に手をのばした。定春が銀時を視界に捉える。
「
なァ?定は」
がぷ
「アレ?」
銀時の手が定春に届く前に、定春は銀時の頭が口の中に入っていた。口の中から銀時の声がくぐもって聞こえてきた。
「しばらく押し入れン中に入ってた奴だから、ちょっと酸っぱい臭いとかするかもしんねーけど、まあ気にしねーでくれよ?」
和室の奥にある押し入れから、予備の布団を引っ張りだしつつ、銀時が言った。
「いや、何から何まで、礼を言いたいのは拙者の方でござるよ」
「そういや、ファブ●ーズがあったっけなぁ。ちょっくら探してくっから、おめーはそいつ敷いちまえ」
「かたじけない」
思い出したように席を立った銀時の背中に、剣心が礼を言う。が、ふと、銀時がその足を止めた。何か言うところがあるのか、しかし言いにくそうに頭を掻く。
「日輪たちが言いたかったのはアレだろ?要はおめーを監視してくれってことだろ」
「・・・気付いておったでござるか」
剣心が目を丸くする。
日輪たちはおくびにも出さなかったが、彼女等に少しでも縁のある者たちが、自分の存在を警戒していた事には、彼自身も気付いていた。故に、『護衛』と名は変えつつも、監視を任されたこの男のことを、彼は多少なりともその腹の内を探っていたのだ。
「日輪は元太夫とは言え、吉原の遊女たちの中心的な存在。月詠はその吉原を守る自警団をまとめる頭だ。そんな吉原の中核とも言える重要人物のいる所に、得体の知れねえ浪人をいつまでも置いておくわけにはいかねえだろ。いくらお前に、何の悪意がなくてもな」
銀時が、ちらりと剣心の方へ視線をよこす。
「一見ちゃらんぽらんに見えて、なかなか鋭いでござるな」
死んだ魚のような目に、仄かに光が見えた
「それにアレだよ、女の家にヤローが何日も泊まってるワケいかねーだろーが。ただれた関係が始まるよ?アブネーだろ、色んな意味で」
・・・ような気がした。
「前言撤回するでござる」
おどけているように見せて、それでいて刃の如く鋭い。けれどやっぱりおどけてみせる。
この男の本質は一体どこにあるのだろう。
迷うところだ。
「まあアレだ」
銀時が再び背を向ける。
「あいつらも、自分らの町守るために必死だからよ。追い出したわけじゃねーと思うから、遊びに行きたきゃ言ってくれりゃあ、神楽も新八も喜んで案内してくれると思うし、日輪も晴太も笑って迎えに出てきてくれるだろうぜ
だから、あんま気にすんじゃねーよ」
そう言って彼は完全に和室から出て行った。
「つかみ所の無い御仁でござるな」
こっそりと微笑む。
どうやら、ここでもしばらく楽しく過ごす事ができそうだ。
10' 5. 26 小説投稿サイト『にじファン』掲載
12' 7. 19